いと美味なるもの

副会長から次年度のさるポストを打診され、内諾していたのですが、突然予定が変わって外れることになりました。予期しない雑務が降ってくることは日常茶飯事ですが、その逆はめったにないことです。

なぜ急にポストを失うことになったのかを考えてみると、理由はひとつしかありません。今年、某所で執行部に逆らい続けたことへの報復として、火矢飯冷や飯を食わされることになったに違いありません!

辣腕官房長官に度重なる反逆への報復として私に冷や飯を食わせたのかどうか聞いてみたところ、なんだかもっともらしい理屈をつけて、これが報復人事であることを公式には否定されました。もっとも、仮に本家・辣腕官房長官に記者会見で政府や与党の人事について記者が

「笑六法氏に報復として冷や飯を食わせたのですか?」

と質問を投げかけたとしたら、それが事実であっても、きっと

「総合的な観点から最適な食餌配置を行ったと聞いている。それが報復であるという意見は当たらない」

とか

「個別の人事に関しては、答弁を差し控えさせていただく」

とかの木で鼻をくくったような答弁を行うに違いありません。まったく、本家もこちらもお人が悪い。。。

ちなみに私は、反逆はするけど温かい飯だけ食わせろと要求するほどの厚顔さを欠いています。私になれるのは、せいぜい「エサはもらうが芸はしない」という「権力のハムスター」どまりです。そのため、私は、冷や飯の味わいを楽しみながら、アホガールの顔で

「冷や飯、うめぇ・・・・・・」

と感動の涙を流して感謝の念を表すのです。当該ポスト案が公式機関を通過し、確定したのを確認してから書いているあたりも、私の深い配慮がうかがわれます。

悪魔の女・かぐや姫

子どもたちの学習発表会で他学年の子らが演じていた「かぐや姫」を見ながら、詳細は大幅に省かれた求婚者たちのエピソードについて、

「そういえば、『竹取物語』の求婚者たちってどうなったんだっけ」

と思って調べてみたところ、涙が止まらなくなりました。記憶の中ではろくな男たちではなかったような気がしていたのですが、一部、誤解をしていたようです。

石作皇子・・・「仏の御石の鉢」を持ってくるよう言われたが、最初から無理だと思ったので、探索の旅に出たふりをして3年後にただの鉢を持っていったが、偽物と発覚してあえなく終了。

車持皇子・・・「蓬莱の玉の枝」を持ってくるよう言われたが、最初から無理だと思ったので、探索の旅に出たふりをする一方、職人たちにこっそり偽物を作らせて最後に持っていったが、かぐや姫のもとに費用の不払いを訴える職人たちが苦情を言ってきたことであえなく発覚。

このへんは「ろくな男ではない」という印象に争いはありません。しかし、

大納言大伴御行・・・「龍の首の珠」を持ってくるよう言われ、龍の首を取るために自分で船に乗って出かけたものの、嵐に遭って龍と遭遇することなく命からがら帰国し、「かぐや姫のせいで酷いめにあった!」とかぐや姫の悪口を言いふらした。

というのは、条件は求婚を諦めさせるための無理難題であることをかぐや姫自身が分かって言っているのに、それを真に受けて実際に船旅に出かけて現に死にかけた男にしてみれば、それくらい言ってもばちは当たらない気がします。

右大臣阿倍御主人・・・「火鼠の裘」を持ってくるよう言われ、つてを頼って唐で探させたところ、それらしいものが見つかったということなので、大金を払って手に入れてかぐや姫へ届けたものの、「本物なら燃えないはずなので火を点けてみましょう。あらー、燃えちゃいましたねー」と馬鹿にされて終了。

これって、かぐや姫の無理難題に応えるために無理をした結果、詐欺の被害に遭ってしまったわけです。「馬鹿にされて終了」ですが、かぐや姫、これはお前のせいだろう。。。

中納言石上麻呂・・・「燕の子安貝」を持ってくるよう言われ、燕が巣でヒナの代わりに子安貝を産むという情報を仕入れたため、近所のツバメの巣を見張り、部下にさせても見つからないため、自分で巣の中を探ってみたところ、手に何かが当たり、「子安貝キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!」と喜んだところでバランスを崩して転落。腰の骨を折って、その後死亡。ちなみに、彼が手につかんでいたものは、ツバメのフン

・・・そりゃあ、ツバメが普通に巣で産むなんて聞いて、信じる前に、自分と他の求婚者との難易度が違いすぎることに不審を感じろよとかツッコミどころはありますが、そんなツッコミの元気が消えうせるほどかわいそうなお話です。5人の求婚者の中で身分的にはたぶん一番劣る石上麻呂くん、もしかすると子安貝の話を聞いた時、

「身分が一番低い俺が一番簡単な課題って、かぐやタソの想い人は俺!?だから身分が高い求婚者たちを断るために、こんな手の込んだことを・・・!?」

と舞い上がってしまったかもしれません。そうだとすると、彼が子安貝ミッションに対してどれだけの情熱を傾けたかは、想像に難くありません。・・・私には、彼のことを悪く言うことはできません。むしろ、その純情こそ、私が失ってしまったものです。

というわけで、問題なのはむしろかぐや姫。最初の2人だけなら義賊でしょうが、5人の求婚者のうち少なくとも3人は、私の今の価値観で言えば、ろくでもない男ではないのに、1人には死の危機を味わわせ、1人には無駄な大金を失わせ、1人は本当に死なせてしまったのですから、悪魔の女と言わなければなりません。

 

可塑性喪失の悲しみ

近所のツタヤで衝動借りしたレンタルコミックがとても面白かったため、他の人たちがどんな感想を持ったのかを検索してみたら、「疲れた中年男性におススメ!」とか書いてあって、ショックを受けました。

中年男性・・・中年男性・・・感性からしてもう・・・ダメなのか・・・???

 

裁かれざる輩

もし世界で1人だけ、私怨によって誰かの存在を抹殺し、私財を没収してよいとすれば、同世代の子どもたちを恐怖のどん底に陥れたある男が有力候補になるということを痛感しました。

1999年7の月を過ぎてしばらく経ち、奴の著書がフェイクにフェイクを重ねた妄言だったことが明らかになった後になって、それ以前の奴が、実は売れないポルノ作家だったと暴かれていた時の衝撃は、今なお忘れられません。そんな嘘と扇動の力で巨万の富を築いたであろう「五島勉」の罪は、相当に重いと言わざるを得ません。

幻の事務所合併

10年位前からの会員には公知であるはずのネタが、フラレタリアート委員会の出席者ですら通じない人が過半数であることに気づいたかなしい夜。

そうなると、かつて実現寸前まで行った私+生徒会長+変態○士先生による幻の共同事務所の話も、今の若い人たちはもう知らないのでしょう。

もっとも、分散による兵力の各個撃破のリスクを嫌い、一点集中による兵力の効率的運用を基本線とする私の思想上、事務所合併の可能性はあるということで、かつて某事務所の所属メンバー全員に

「うちの軍門に下らない?」

と声をかけたところ、

女帝陛下「私はボスを裏切れません」

デ○マスク「条件を詳しく教えてください!(そしてノウハウを盗んだ後、なんとかして契約を解除します)」

オ〇ベルシュタイン「噂されている条件だと、もしかして今の形態より・・・得なのか?ブツブツ」

という感じで、ボスよりイソ弁の方が事務所への忠誠度が高かった・・・というネタを暴露したところ、マッド・チワワ先生がむくれて文句を言い始めました。

「デ〇マスクには声をかけたのに、僕にはかけてくれなかったんですか?」

そういえば、マッド・チワワ先生に事務所合併の誘いをかけたことはありませんでした。だからといって私の評価がデ〇マスク>マッド・チワワであるわけでは断じてなく、私の玩具としての存在価値や使いやすさは常に互角なのですが、だからこそ、彼にだけ声をかけたことがないのは私の不明であったと認めざるを得ません。

そこで、マッド・チワワ先生に対しては、過去への贖罪の念も込め、あくまでも軍門に下るよう誘いをかけた前記事務所とは違い、あくまでも対等での合併を申し入れました。私の誠意の表れとして、立場は対等ですが、事務所名についてはあおぞら法律事務所よりも彼の事務所(〇△×●▲事務所)を尊重し、新名称を「〇△ぞら法律事務所」とし、順番において彼の事務所を優先するという配慮と譲歩を示しておきました。

マッドチワワ先生ほかを迎えた新生事務所で迎える新たなる時代の幕開けが楽、今から実に楽しみです。

 

 

備前坊どん慶・・・

なまずは元気なのですが、どんこが死んでしまいました。

普通、魚は死ぬと浮かぶため、ブクブクが作り出す水流によって浮遊していてわかるのですが、うちのどんこは底にはりついたまま、まさに弁慶のような立ち?往生でした。。。

インフルエンザ、流行中

普段は欠席者があまりいない弁護士の会議に出席したところ、27人中21人しか出席していませんでした。

「インフルエンザか風邪っすかねえ・・・我々も気をつけないと」

などと他の出席者と話しながら事務所に帰ったところ、欠席者の1人から普通に仕事上の電話が。

・・・おい(ー_ー#)

 

当HPの選挙報道に対する抗議について

まったく他人事の総本山某選挙について、決選投票に残ったY先生陣営の弁護士(岡山)から、

「笑六法の記載には事実誤認がある!」

と抗議を受けました。

彼によると、主流派がA先生で一本化しようとする動きに対して反乱を起こしたのがY先生なので、

「Y先生こそまさしく反主流派であり、Aは主流派!」

とのことのようです(A先生の呼び捨ては原文ママ)。
岡山の会員の投票行動の原理に関していうならば、「東京の言いなりになりたくない人々(過去における反主流派)がY先生ではなくA先生に流れるという構図は不変なので変更の要を認めないのですが、東京の情勢となってくると、東京で何があって今回のような事態に至ったのかは私もつかんでおらず、私自身が直接見聞した要素として「A先生の後ろ盾として複数の日弁連会長が存在する」「東弁の会派の対応は、第一会派と第二会派が分裂し(どっちがどっちだったかは忘れました)、第三会派は自主投票を決め込んだ」ということだけです。
これまで「主流派」として会務を恣にしていた東京三会に亀裂と分断が残る可能性は想定しているのですが、その内部でどちらがレムシャイド伯なのか総本山正統主流派というべきなのかは、断言するに足りる情報が不足していることも事実です。

私自身が確認できない情報を鵜呑みにするよりは若干高い水準のメディアリテラシーを持つという自負を持つ私としては、一方当事者からそのような抗議があったという事実を全世界に発信し、今後の表記を「Y派」「A派」とすることにより(今後も言及する気は満々)、それ以上の判断を避けることとします。

野村克也監督の訃報

自分の年を実感したとたんに、ノムさんの訃報が飛び込んできました。地上波で毎日巨人戦を中継していた時代のラスボスが・・・いや、監督としての在り方ならば、某終身名誉監督よりよほど共感できたけど。。。野球に関してはあれほど合理的でありながら、妻に対してはアレだった部分も含め、忘れられない野球人が一人逝きました。

ノムさんというと、戦後初の三冠王とか、監督時代の栄光とかはテレビが飽きるほど繰り返しているけれど、こんな時にはなおさら誰も触れたがらない鶴岡監督との確執エピソードが印象に残って離れません。南海ホークスというと、私が物心ついた時には、野村監督時代までの阪神級の弱小球団に落ちぶれていたのですが(それでも門田とか山内孝徳・和宏とかを覚えている)、そのほんの少し前、ノムさんが選手兼監督だった時代まではパ・リーグを代表する強豪であり、その最大の要素は、野村選手・・・ではなく鶴岡一人監督の存在でした。

南海黄金期をほぼ一手に支えた名監督である鶴岡監督とノムさんの関係性は、もともとはテスト生から抜擢してもらった大恩があり、一軍に定着する頃にもらった「野村、本当にようなったな」という言葉だけで地獄の練習も耐えられたというものだったはずなのですが、そんな関係がいつの間にかすれ違うようになっていき、蔭山和夫新監督急死事件という嵐の中で完全に崩壊していくことになります(・・・というとすこし詩的に過ぎる気もしますが)。

この確執について一般に知られているものはほとんどノムさんサイドからの発信であり、鶴岡監督サイドから書かれたものはほとんど存在しない(鶴岡監督シンパの選手たちのコメントを切り貼りするのがやっと)のが実に残念なのですが、鶴岡監督のwikipediaでの記載によれば、

また鶴岡は、褒めた方が伸びると判断して接した杉浦忠に対して、広瀬叔功や野村については図太い性格だと思いこみ、敢えて「怒られ役」扱いとして厳しく接したが、実際は野村が繊細な性格だったと気付くのが遅く、結果的に行き違いが生じてしまったと晩年述懐している。[要出典]

とあります。一次資料をぜひ読んでみたいところですが、当時の野球界としては十分合理的な思想の持ち主であり、さらに人心掌握にかけては怪物級だったはずの鶴岡監督をしてノムさんの本質を見抜くことができなかったのが悲劇の始まりだとすれば、そんなすれ違いが南海ホークスの黄金時代、ひいては球団の歴史そのものの終焉につながっていくのだから、野球と人間の奥深さの計り知れなさを感じるとともに、「人を育てる」ことの困難さを思い知らされます。それにしても、昭和は遠くなりにけり。

愛しのウンスちゃん

ウマ娘の影響で?セイウンスカイの現役時代のレースをつい見返してしまいました。展開がハマると本当に強いウマでした。いや、逃げて自分で展開をつくれる馬なので、ハマると・・・ではなく、展開ごとハメ殺すという方が正解か。京都大賞典、菊花賞の逃げ切りは芸術です。

ところで、よく考えてみると、「セイウンスカイ」→「青雲空」で、思いっきりうちの事務所のおウマさんではないですか!菊花賞の実況では思いっきり言われてるし。現役時代にはかなり追いかけた馬ではありましたが、気がついてみると感動です。「あおぞら法律事務所」の命名理由についての俗説に

・独立を決めた後、空を見上げると、それまでになかったほど空が青く見えたから

・岡山の五十音順でトップになり、電話帳で一番頭にくるから

というものがささやかれていますが、そこに

・1998年菊花賞を38年ぶりに逃げ切り、世界レコードでの5馬身差で圧勝したウンスちゃんのファンだったから

という説を加えなければなりません。なあに、10年も経つと、これが後付けだなんて分からなくなります。

それにしても、セイウンスカイがクラシック戦線を戦った1998年は、もう今から22年も前になります。今の競馬ファンにとってのセイウンスカイは、当時の私にとっての「TTG」(1976年クラシック世代)と同じ感覚になるのでしょうか。私も年を取るはずです。