法家の大家・韓非

真理を語りながら認められない苦しみにふれたところで、最近漫画「キングダム」に出てきた韓非もそうだったと思い出しました。 韓非は「戦国の七雄」と呼ばれた当時の中国大陸の列強の中で最弱格だった韓の公子として生まれ、国の統治は法をもって行うべしとする法家に属した思想家ですが、生まれながらの吃音ゆえに生まれ故郷の韓では軽んじられており、秦王政に見出されて秦へと旅立ち、そしてあーんなことやこーんなことになるのです。韓非の気持ちが、私には分かるかもしれません。

「嗚呼、天はなぜ分かってはくださらぬ!」

と絶叫したい気分です。

ちなみに、高校時代の漢文で法家を含む諸子百家にも触れる機会がありましたが、私は明らかに儒家よりも法家に惹かれていました。韓非に親近感を持つのもむべなるかな、です。法家の有名な人物は、韓非に限らず、ほとんど悲惨な最期を遂げているような気がしなくもありませんが、きっと気のせいです。

ふと思ったのですが、韓非に限らず諸子百家たちは、古の人物の故事を引いてきては自分の主張を補強するのですが、実際には故事の方が広まって、故事に関わる人物の評価を決定づけていることも少なくない気がします。

もし2000年後に「笑六法」が発掘された場合、ここに登場する、おそらくは歴史の闇に消えて特定不能となっているであろう怪人物たちは、後世にどう評価されるのでしょうか。興味深い問題です。

笑六法、刺される

朝に目が覚めると、足のあちこちが痛くなっていました。原因に心当たりがないままひんぐりもんぐりしていると、布団の中から異なものが・・・

ム カ デ か よ … !

たちまち窓の外に放り出しましたが、考えてみれば、つかまえておいて千切りにするか、のら猫どもと戦わせればよかった。。。

ム カ デ が 憎 い … !

伝説のコテハン

最近、ある弁護士がかつての「某巨大掲示板」こと「2ちゃんねる」の伝説のコテハンだったらしいという噂を聞きました。私も零細コテハンだったり、隔離された世界での職人だったりしたことはありますが、幸か不幸か、彼のインパクトには遠く遠く及びません。

しかし、匿名なるがゆえに、知己の中にさらなる大物が隠れているかもしれないというのが怖いところです。もう少し生産的な何かに知能と努力を費やす道はなかったのでしょうか…私を含めて。

預言者の悲劇

先日、さる同業者から

「笑六法先生の意見は、それだけを見れば正しく思えることも多いが、その話し方がうさんくさいために採用されない」

と言われました。真実を語ることは難しいのです。

不都合な真実と言えば、「四国新幹線ができたら、岡山に首都が移転する」というネット記事に衝撃を受けました。

四国新幹線 徳島知事「岡山ルート支持」に見る、岡山県“一人勝ち”の未来 それでも四国人は新幹線を求めるのか? (msn.com)

キーワード的に私とすごく重なるうえ、私を数倍上回る破壊力の超論理に腹筋の痙攣が止まりません。

JR瀬戸大橋線・宇野線廃止の謀略

ネット記事に「徳島県知事、岡山ルートに賛同」という魅惑的な単語が踊っていたため見てみたところ、四国新幹線で徳島県知事が、それまで推していた淡路島ルートを断念し、岡山(瀬戸大橋)ルートに賛同したため、四国四県の四国新幹線への意向が岡山ルートで揃った…というニュースでした。

徳島県の後藤田知事と言えば、奥様は女優の水野真紀さんで、「水野真紀」「水野美紀」「坂井真紀」「酒井美紀」といえば「芸能界の美紀真紀問題」としてとても有名なトラップであり、さらに言うならば私が一番好きだったのは水野美紀さんだったりするわけですが、とりあえずそんなことはどうでもよくて、岡山推しの仮面をかぶった岡山へのトラップだから、世の中油断ができません。

四国新幹線と言えば、全国の新幹線構想の中でも地元に最も熱く求められている路線の一つ…と普通に言われているのですが、岡山県での待望論は、聞いたことがありません。「地元の意向が揃った」なんて、岡山を無視しないでくださいよー。。。

私も弁護士を20年間以上やっているけれど、四国の裁判所に実際に足を運んだのは、イソ弁時代の尋問で高松地裁丸亀支部と、なぜか調停で何度も足を運んだ松山地裁西条支部の2事件だけ(なぜかどちらも支部…)で、経済関係の密接性は感じたことがありません。岡山県民が四国新幹線で四国へ行く要件は…あまりないのではないでしょうか。別に「しおかぜ」「南風」で困ってないし。。。(<松山修習の時は「しおかぜ」に乗っていた人)

その一方、新幹線の新設時、都道府県の建設資金は、県内を走る距離によって機械的に割り当てられるそうです。徳島県の翻意によって四国が推すことになった岡山、高松・徳島、高知、松山の十字型ルートの総距離302kmに対し、岡山~児島間だけで27.8kmと、岡山県もそれなり以上の負担を強いられます。

さらに、現状ではJR西日本が廃止する意向はミリほどもなさそうな瀬戸大橋線・茶屋町~児島区間及び宇野線・岡山~茶屋町区間が並行在来線として廃止の危機にさらされたり、よりにもよって宇野線・瀬戸大橋線の中で最大の閑散区間である宇野線・茶屋町~宇野区間だけ残されたりしようものなら、まさに岡山県、JR西日本、倉敷市民、玉野市民及び岡山市大元駅周辺住民のすべてにとって誰得展開になってしまいます。児島警察署、玉野警察署、岡山少年鑑別所の事件が来たらJRで通う岡山の弁護士はそれなりにいるはずですが、彼らはこの路線が廃止されると詰みます。

まあ、四国新幹線の運営権をJR四国オンリーにすれば、運営会社がJR西日本で異なる瀬戸大橋線・宇野線の並行在来線化は防がれるという説もありますが、両路線の収支が現状より悪化することは間違いありません。

そもそも徳島県民は、関西圏には明石大橋経由の高速バスを利用でき、しかもその所要時間は四国新幹線岡山ルートと同等、運賃は圧勝と予想されているため、彼らは四国新幹線岡山ルートなど完成しても、利用するはずがありません。今回の翻意の本質は、四国新幹線への非協力による他の三県の冷たい視線を、岡山県に転嫁するというなかなかの高等戦術と思われます。

というわけで、岡山県に四国新幹線岡山ルートへの協力をさせたいのであれば、四国四県には、道州制導入の暁に、「中国州」とは別の「四国州」におさまるのではなく、「中四国州」を推すことを前提として、その州都を岡山県に置くことを一致して賛同するくらいの条件を提示してもらわなければなりません。

越えられない憧れ

果たすべき使命を果たし、見るべきものは見てから、もはやかなりの時間が経過してしまい、最近は熱心に読むところがめっきり減った某団体の「会務報告書」ですが、今年度唯一私が目を皿にして読んだところが「次期首都の〇〇人等候補者に、私を差し置いてどこぞの不届き者が勝手に選任されていないかどうか」というのは、さすがに他に類を見ないことでしょう。

憧れていては越えられないとはるか年下に喝破されてもなお、捨てられない憧れもあるのです。

悪猫成敗!!

先日、私がついに悪猫プーを成敗するという愉快な事件が起こりました。私のタイトルのつけ方的に、強い言葉を使いつつツッコミ待ちをするときは「?」「!?」などとネタバレをするのに、今回は「!!」という時点で、リアルに成敗したのです。

その夜は、うちの近所で、なぜか猫どもが何度も遭遇しては、喧嘩を繰り返していました。うるささのあまり、私も庭に2度出て行って追い払いましたし、出て行ってみると現場がうちの庭ではなくご近所だったために立ち入れず、その後しばらくするとその家の住人が出てきて追い払った様子が察せられる…ということも含めれば、片手の指では足りなくなるような夜でした。

ところが、またしても近いところから、2匹の猫の鳴き声が聞こえてきました。しかも、1匹の声は明らかに戦闘モードなのですが、もう1匹の声は「ナーオ、ナーオ!」とまるでメス猫に媚びているような情けない声。

「ああ、あいつか…」

本人、もとい本猫は戦闘モードのつもりなのでしょうが、悪猫プーはそんな声しか出せない奴なのです。

閑話休題。出かけてみると、うちとお隣の間のブロック塀の上で、案の定悪猫プーと幽霊猫タタリがにらみあっていました。悪猫プーは力強さとは無関係な意味での丸っこい体形ですが、オスであることは確認済なので、妊娠しているわけでもありません。まさに運動不足の「チー牛」っぽいやつで、幽霊猫タタリの方は、ベンガル猫的な精悍さのある奴なので、判定的にはもう決着がついたようなものですが、悪猫プーは力の差を認めていません。

ところで、私の位置は、幽霊猫タタリからは当然に視界に入るのですが、悪猫プーからすると後方になるため、振り返らないと視界には入りません。幽霊猫タタリは私を視界にとらえると明らかに動揺し、やがて去っていったのですが、そこで私はあることに気が付きました。

悪猫プーは、一度も私の方を振り返りません。タタリが去っていった方を見つめて、満足そうに落ち着いて座ってしまいました。

「…こいつ、私に気づいていない?」

そこで私は、これまで奴に虐げられ続けてきた記憶をよみがえらせ、復讐を決意しました。音をたてないようにそろそろと悪猫プーの後方に近づいていきます。やはり悪猫プーは、一度も振り返りません。猫の感覚は人間よりもずっと鋭いはずですが、どれだけどんくさいのでしょうか。それはさておき、奴の後方で、手が届く範囲まで接近すると、悪猫プーの後ろ脚付け根よりちょっと前に狙いを定め、渾身の人差し指でやつをつついてみました。

・・・すると、見事に私の指はやつの肉をとらえました。これぞ会心の一撃!

「笑六法のこうげき!どくばりがわるねこのきゅうしょにちょくげき!わるねこをたおした!」

というシチュエーションは、きっとこういうものではないでしょうか。

そして、悪猫プーは、私に反撃する気配もなく、ものすごい方向にジャンプして吹っ飛んでいきました。猫の跳躍力は凄いはずですが、猫をしてもあのジャンプ力と方向は異常で、まるで私が偶然北斗神拳に伝わる秘孔*「刹活孔」をついてしまったかのようです。刹活孔の力が、やつに一瞬の輝きのように圧倒的なジャンプ力を宿したのでしょう。あまりの気持ちよさに、つい

「♪ネコとんでった ネコとんでった ネコぶにっとやったら とんでった」

と「ネコふんじゃった」2番の替え歌を口ずさんでしまいました。

こうして私は、悪猫プーの秘孔を突き、積年の大怨に流血の裁きを与え(注・血は流れていませんが)、成敗することに成功しました。悪猫プーはその翌日以降もほぼ毎日うちの周りをうろちょろしているようですが、きっと私のA判定拳法を身をもって味わったことで、残り100年あった寿命が10年くらいに縮んだものと思われます。「刹活孔」によって削られていく寿命の減少とともに、私の眠りを妨げた罪の重さを思い知って後悔と絶望の涙を流しているに違いありません。なお、野良猫は非常に不潔なので、触った場合は即時、とても入念に手を洗うようにしましょう。

*「刹活孔」…「北斗の拳」に登場する人体の経絡秘孔のひとつ。そこを刺激すると、一時的に大きな力を引き出すものの、その代償として寿命を大きく損なうという。1980年代のNPBを代表する投手が引退直前の針治療で突いてもらったと記者会見で語った個所も、この秘孔かもしれない。。。

同音異義の深淵

本日の某研修では、「受訴裁判所」という民訴非選択の私にはあまり耳慣れない単語が頻発していた件につき、研修の趣旨である不可避の某テーマ自体「めんどくせー!」と思っている私の脳内では、約2時間にわたって「受訴」が「呪詛」と誤変換されていたことは内緒です。

自民党PTを批判する!

自民党のPTが、ローカル線問題について「もうかっているJRも含めてJR各社で協議して解決しろ。解決しないのなら再度国有化するぞ」という提言?を出したそうなのですが、国鉄をJRとして細かく分割し、さらに儲かりそうなところから上場して売却益を得るスキームを考案したのは、中曽根政権時代=自民党ではないか、と半ばあきれています。

JRグループの中でも特に業績が悪いJR四国は、コロナまではかろうじて黒字を出していた瀬戸大橋線も赤字に転落したため、全路線が赤字なのだそうです。気付いている方は多くないかもしれませんが、岡山駅西口に建った新しいマンション(未完売)の売主に、どさくさにまぎれてJR四国も名前を連ねていたりします。・・・同じく名を連ねている近鉄不動産なんざは「大阪に帰れ!」と言ってみてもいい気がしますが、JR四国については、根拠はありませんが、「四国に帰れ!」と言ってはいけない気がします。人の心的に。

…だからといって、JR西日本が救わなければならない理由はまったくありません。もし国がそんな横暴を働くのであれば、株主に対しては、十二分なるプレミアムを乗せて買い取らなければなりません。まあ、JR西日本が突然JR四国の救済に乗り出した場合、私自身が株主代表訴訟の原告適格を得て、経営陣の責任追及の先頭に立とうと思えば立てる(なお、立つとは言っていない)と思うと、少しロマンも感じてしまうのですが、それはまた別の話です。

1年10ヶ月ぶりの・・・

地裁の死刑判決への控訴が高裁で棄却され、上告中だった川崎・老人ホーム入居老人連続殺人事件の今井隼人被告人が11日に上告を取り下げ、死刑が確定したそうです。

有料老人ホームの職員だった被告人が、約2か月の間に3人の入居者を別々の機会にベランダから投げ落として殺害したという事件で、確定判決の事実認定「異時機会で被害者3人を死亡させる」という事実を前提とした場合、死刑事件裁判例の基準上、年齢・責任能力等の問題がなければ死刑を免れようがない事案です。

実は、筧千佐子死刑囚に対する2021年6月29日の最高裁の上告棄却判決以来、約1年10か月強にわたって新たな死刑確定がない状態が続いていました。戦後の死刑確定者が0だった年は、統計上1986年だけですが、この時の新規確定の間隔は約1年半と思われるため、おそらく今回が死刑の新規確定の間隔としては戦後最長でした。しかし、高裁死刑案件の最高裁での審理状況からすれば、今回の上告取り下げがなくとも、今年中に新規の死刑確定が出たと思われ、その後も年単位の空白は出ないのではないかと思われます。

死刑相当事案の長期的な減少傾向は、果たして今回で底を打ってしまったのかどうか。そこまでは断定しませんが、世界的に治安が良いと評価され、かつ死刑が限定的に運用されている日本においてなお死刑相当の凶悪事件がこれだけ起こっていることには、むなしさを感じざるを得ません。

人は人を殺せる そうつくられた

のです。