Home » NEWS » もうひとつの難波家

もうひとつの難波家

日本の場合、歴史に関連する書面が非常に多く残っているため、ネットでの記載の中にも、それらが反映されていることが、たまにあります。

当家からご先祖様と認識されている難波行豊公ですが、そのひ孫の1人に、備中高松城で水攻めを受け、切腹したことで有名な清水宗治がいる…という記述は、なかなかの衝撃でした。戦国期を描く小説やドラマでは普通に「切腹=武士の誇りある死」として描かれる傾向がありますが、学説としては、清水宗治の衆人環視の中での切腹による死に様があまりに見事だったため、武士の社会にそうした風潮が広まっていったという説が有力です(つまり、それ以前の時代なのに切腹をそういう扱いで描いているものは・・・以下ry)。世界から良くも悪くも日本のサムライを代表し、象徴するものとみなされている「ハラキリ」は、難波一族が発祥なのだ!・・・と言えなくもありません。。。

さらにいうと、wikipediaによれば、備中高松城で毛利家への忠義と武士の誇り高き死に様を見せつけた宗治の一族は、戦国のみならず江戸期を生き残り、さらに明治維新では中心的な役割を果たした毛利家の中でも名家として扱われたそうです。難波姓を受け継いだ宗治の弟の末裔で1855年生まれの難波作之進氏は、明治維新後も実業家として成功し、1920年の衆院選では山口8区から議員に当選しています。…そして、その3年後に、息子の難波大助が当時摂政にして皇太子だった後の昭和天皇陛下を狙撃する虎ノ門事件を起こしたことで、議員を辞職して蟄居し、ほぼ自らの意思で餓死したとか。。。orz

こうした悲劇の末、他の一族は難波姓を捨ててしまい、山口の名門・難波家は断絶してしまったようですが、作之進氏の選挙区があった今の光市は、国際連盟脱退時の外務大臣松岡洋右を経て、岸信介・佐藤栄作兄弟がいた中選挙区となり、現在では岸信夫防衛大臣の選挙区となっています。…もし難波大助が虎ノ門事件を起こさず、作之進氏が議員として議席を占め続けていたら…?山口の保守層の流れとともに、日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。

これ以外に、虎ノ門事件によって警視庁の警備責任者が引責辞職に追い込まれていることも忘れてはいけません。もともと警察官僚として将来を嘱望された超エリートだったにもかかわらず、難波大助の暴挙によって官界を去らなければならなくなったこの責任者は、のちに財界に転じて数々の業績を残します。「テレビ放送の父」「原子力の父」「日本プロ野球の父」こと正力松太郎氏です。もし正力氏が虎ノ門事件で不本意な辞職を余儀なくされていなかったとしたら、官界で順調に出世する一方、財界で果たした業績は大きく縮小され、彼ではなく他の人のものとなったものもあったことでしょう。日本の歴史が変わる部分もあったかもしれません。少なくとも、プロ野球の歴史は大きく変わったと断言できます。

こうして考えると、「あっちの」難波家は、大いに日本の歴史に関わったといえそうです。私との関係についていえば、共通の先祖まで500年以上さかのぼるため、遠すぎるという人はいるでしょうが、なあに、天皇家と、最近急に騒がしくなってきたいわゆる旧宮家だって似たようなものですw…とはいえ、でかい話だからといって、うらやましいかと言われたら、まったくうらやましくありませんが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*