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鎌倉殿の13人・推しが輝く瞬間

承久の乱の最大のヤマ場・北条政子の大演説が、ついにやって来ました。うん、満足です。っていうか、私以上の政子推しである鎌倉のあのオーベルシュタイン大江広元なんか、盲目になったはずの目がいつのまにか開いてるし。。。

ネットの中で、政子の姿はもう見えていないはずなのに恍惚とする大江広元の表情について「推しが輝く瞬間」と表現されているところがあって、つい吹いてしまいました。そういう心理なのか・・・!まだおとぼけキャラだった頼朝に「最大の実力者だから」という理由で上総広常殺害を唆して実行させ、義時による頼家暗殺を平然と支持し、畠山重忠が時政によって罪なくして討たれた際にはその罪を着せるため稲毛重成誅殺を提案したように見せて実は時政への信頼をさらに地に堕とすための策だったり、息子をおとり捜査?で謀叛に追いやっていながら母親の実衣に対する刑としてボソッと目そぎ鼻そぎに言及したり、結果的に不発に終わったとはいえ邪魔者と化した源仲章について「死んでもらいましょう」と言ってみたりする冷酷キャラにそんな側面があったなんて・・・もしや、政子は柔らかく煮た鶏肉しか食べないダルマチアンの老犬?

 しかし、冷静に日本史の近代以前を振り返ってみると、演説一発で群衆の心をつかみ、歴史のうねりを生み出したなんて例は、政子の演説以外に聞いたことがありません。政子の演説も史料によって内容や形態が違うこと、動揺して押しかけてきた鎌倉武士ども(当然、現地も相当にざわついていたはず)を相手に、マイクや音響もない時代に、戦場に出たこともない政子が大音声をもって鎮め、聞き入らせ、感涙にむせばせる(=聴衆の多数が内容まで聞き取れなければ泣かない)という芸当が、現実的に可能だったのかどうかは一考の余地があります。その意味では、政子の意向を安達景盛が代読したという「吾妻鏡」の記述あたりが史実に近いような気もします。

 ・・・そうだとすると、史実で2代目鎌倉殿の頼家に力づくで奪われたのは愛人だったのに、「鎌倉殿・・・」シナリオでは妻を心ごと奪われたことに変更されて悲惨さをマシマシにされ、演説の見せ場も見栄えがする尼将軍に召し上げられ、さらに自らが権力抗争で輝く宝治合戦は描いてすらもらえない安達景盛こそ、「鎌倉殿の13人」における隠れた最大の犠牲者かもしれません。他の皆が彼のことを忘れても、否、認識すらしていなくても、私は景盛のことを忘れません。

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