中国地方弁護士連合会の機関紙「かがやき」に、私の紹介文が掲載されていました。
「校正されなかったんですか?」
と聞かれるのですが、
「一応校正した」
と返すと、
「あの内容を許可したのですか?www」
と、違った意味で驚かれます。言論・表現の自由を真に愛する私は、自分だけでなく他人の言論・表現の自由に対しても、寛大であらなければならないと強く自制しているのです。
無論、気に入らない部分はいくつもありますし、そこを修正しなければ掲載は認めないと主張することだって不可能ではないのですが、そんな形で「毒見」をされたのでは、どんなに美味しい「目黒のさんま」も、殿様のいつものつまらぬ食事となり果てることでしょう。高度に保証された言論・表現の自由の中からしか生まれないものは、きっとあるのです。
もっとも、今回の紹介文そのものの信ぴょう性に関わる問題として、例えば「番町交差点で私の頭に鳩が止まった」というエピソードは、最近の岡山の若い人たちからは
「番町交差点に鳩なんかいるかよwww」
と嘘判定されるおそれがあります。実は、岡山地裁は十数年前に建替されており、建替工事の前にあったいちょう並木周辺に鳩がたくさんいたことを覚えている人は、少なくなりつつあります。本来であれば、そうした注意書きも付けなければならないのですが、そんな説明調の文章なんか楽しくもなんともありません。真実を余すことなく、しかし要領よく他人に伝えることの難しさは、現代社会に生きる者として深く考える必要があります。
それにしても、今回の文章による先制攻撃の落とし前は、本来であれば私が知っている筆者についての数々のネタを投下することで晴らされるのが王道であるべきなのですが、「かがやき」のシステム上、私が次に書く相手は筆者以外とならざるを得ません。いくら彼とて、自分が先制攻撃すれば、私が知る彼の様々な秘密を暴露し返す反撃を受けると思えば、きっと先制攻撃自体を自制したことでしょうに。これは、「目には目を」という原始の抑止力を否定した中弁連のシステムによって誘発された侵略戦争であると言わざるを得ません。なんだか敵基地反撃能力が必要な気がしてきました。