Home » NEWS » 「ドーハの悲劇」の真相

「ドーハの悲劇」の真相

サッカーW杯アジア2次予選の日本代表は、6連勝でまだ2試合を残して最終予選への進出を決めました。2次予選なんてこんなものだっけ・・・?と過去を思い出そうとするわけですが、そもそも私がサッカーW杯なるものを認識した94年アメリカ大会では、1次予選の後が最終予選だった模様。30か国の1次予選で各GLを1位で勝ち抜いた6チームによる最終予選は、セントラル方式=ドーハでの総当たり戦。・・・ずいぶんシンプルな方式でしたが、最終予選でも組が分かれた上位国とは戦う必要がない今と違って、すべての上位国と対戦したうえでの上位2国だけが本大会に進出できるという方式は、あれはあれで迫力がありました。日本、韓国、北朝鮮、サウジアラビア、イラン、イラクの最終予選なんて、今ならどんだけ死の組だよっていう話です。

ところで、日本代表的には「ドーハの悲劇」で名高い94年アメリカ大会ですが、その前の90年イタリア大会は、たぶん私だけでなく、一般的な日本国民にはそもそも大規模なスポーツイベントとして認識されていませんでした。横山謙三監督なんて、ガチで知りません。この時の予選方式はアメリカ大会と同様の予選方式で、日本は1次予選グループ6で北朝鮮、インドネシア、香港と同じグループとなり、なんと日本は2勝3分け1敗で北朝鮮の後塵を拝して1次予選で敗退しています。

そして、めでたく私に大規模なスポーツイベントとして認識された94年アメリカ大会でしたが、当時の私にはサッカー自体基本的にどうでもいいもので、日本サッカーの夜明けだと熱く語るサッカー好きの友人をもてあそぶ方が楽しかったため、

「これから日本のサッカーはメジャースポーツになって野球なんか誰も見なくなる!お前も今のうちにサッカーファンになって日本代表を応援しろ!」

「いや、サッカーなんてどうでもいいし。まあ、そんなに言うならイラク応援するわw」

「はあ?イラク?なんだよそれは!?」

「湾岸戦争で負けたアメリカにイラクの国旗を立てようって、心意気に『漢』を感じるではないか。イーラーク!イーラーク!」

「話にならん!」

「www」

みたいなやり取りをして楽しんでいました。基本的にその場のノリだけで深く考えた話でもなかったため、日本の最終戦がイラク戦であることも意識しておらず、まさか最後にあーんなことになるなんてことは夢にも思っているはずもありません。「ドーハの悲劇」後、その友人から

「お前のせいだ!この非国民め!ラモスに土下座して謝れ!」

と、勝手になぜか日本の最終予選敗退の責任のすべてを負わされ、かなりガチで罵られました。

「ドーハの悲劇」の真の黒幕が、日本人なのにイラクを応援していた岡山の高校生だなんて衝撃の事実を知っている人はあまりいないと思いますが、そんな伝説の時代からすれば、日本サッカーもずいぶん遠くへ来たものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*