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岡山県になりたかった町

以前、広島県の一番「右上」にある東城町が、過去に「岡山県編入運動」を本気でやったらしい・・・と書いたのですが、調べてみると明治29年と大正10年の二度にわたり、しかも一度は帝国議会に法律案まで提出に至った 、なかなかガチな運動であると判明しました。なんと物好きな!

M29.3 神石郡のすべて(大部分は現・神石高原町)、奴可郡の一部(久代村、八幡村、小奴可村、東城村、田森村、八鉾村、帝釈村)、安那郡の一部(山野村)をもって可石郡に移行したうえで岡山県に編入する法律案が二度にわたって帝国議会に提出(承認はされず)

T7.10 東城町が比婆郡東城町、田森村、八幡村、小奴可村、久代村、帝釈村、神石郡新坂村、小野村、岡山県阿哲郡矢神村、新砥村、野馳村、川上郡湯野村による郡を新設の上、岡山県に属させるべきとする意見書を提出

二度とも、編入運動の中心となった東城を除く、広島県から岡山県に編入される町村の猛反対によって挫折しています。問題の表面化から間もない時期に、一緒に岡山県に編入される「はずの」近隣町村から 袋叩きにされる姿を見ると

「旗をあげるなら、それっくらい根回ししとけよ!」

とツッコまずにはいられませんが、東城の突出の背景には、広島県による振興策で西の庄原を優先され、地域の中心たる地位を奪われていく焦りに、岡山県選出議員からの甘いささやきとか大人のカケヒキがあったようです。それはさておいて、二度も本気で岡山県編入運動を主導した(そして広島側の近隣町村に袋叩きにされて潰された)東城地域は、どれだけ岡山県になりたかったのかを考えると、いささか切なくなってきました。。。

この編入案が実現していた場合、東城町出身の谷繁元信は岡山県出身になり、この周辺地域で話題になった謎の生物「ヒバゴン」も岡山カラーが強くなっていたのでしょうか???中国山地の深遠さを思い知りました。

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