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美しき好敵手

古葉竹識監督の訃報に接しました。

「広島の古葉監督」と言えば、私が藤田監督とほぼ同時に「プロ野球の名監督」として初めて認識した方です。ご冥福を祈ります。

・・・しかし、2021年の享年が85歳ということは、私が認識した当時は、何歳だったのでしょうか?

私のプロ野球観は完全に巨人中心で、第一期藤田監督時代(1981-83)であることははっきりしています。そして、83年の西武との日本シリーズははっきり覚えていますが、81年の日本ハムとの日本シリーズはまったく記憶にありません。従って、私がプロ野球に関心を持ち始めた時期は82~83年に絞られます。

この点、古葉監督が広島の監督だったのは75-85年なので、時代に矛盾はありません。古葉カープの優勝は79,80,84年ですが、84年の阪急との日本シリーズは記憶にあります。山本浩がいて、衣笠がいて、高橋慶彦がいて、達川もいたけれど、日本シリーズMVPは長島清幸でした。北別府がいて川口がいて大野もいて、けれどもエースは山根和夫でした。美しい時代でした。ちなみに、カープはこの年以降日本一になっておらず、12球団で最も日本一から遠ざかっています。残念だ。敵ながらカープはそのような不名誉な地位にはふさわしくないのに。

それにしても、1936年生まれの古葉監督は、84年時点では48歳です。この時期は既に長期政権で、彼が広島の監督になったのは39歳の時ということなので、古葉監督が広島の監督として指揮をとっていた時期というのは、ほぼ私と同年代の時期ということになります。衝撃で、死にたくなりました。

ところで、83年、84年のプロ野球は記憶にあるわけですが、82年はどうなのかというと、広岡西武が近藤中日を下した日本シリーズのことはまったく記憶にありません。つまり、私がプロ野球に関心を持ったのは、83年だったのでしょう。この年は1位巨人、2位広島だったため、この両球団に好意を持つのは不自然ではありません。この時代で言えば、本来「広岡監督」も名将と認識するべきなのですが、パ・リーグは別世界という時代だったので仕方がありません。

・・・それにしても、85年に関心を持ったのではなくて、本当に良かった。。。

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